「どういうこってすかねえ、あのお色気なんてえものは…いや、ほんとの話、恋文のひとつも袂に投げてみたくたりまさァね…」

　稽古場を覗きにでかけた若手の芸人たちがほとほと感じ入ったって表情で語るのは、天下の大女優、山田五十鈴の衰えを知らない妖しさである。

初春早々から東京芸術座で、山田五十鈴と杉村春子の二大女優の初競演による＜やどかり＞が幕をあけるため、連日稽古が進められているのだが、

　「ベルさんとお春さん、なにしろニッポン国の二大女優の初顔合わせだ。こりゃみものだぜ…」

　って寸法で、稽古場を覗く芸能人やジャーナリストも少なくないのである。

　それにしても、大正６年生まれの６０歳のベルさん。世間並みなら“おばあちゃん”って年だが、その艶っぼいことったら。

　「いや、ほんと、お許し願えるなら、しのんでいきたいって心境」

　と頬をこわばらせる連中もいるってくらいのものなのである。

　「あら、まア、わたしでよかったらお嫁にいってもいいわよ。でもねえ、ごらんの通りに暮れも正月もない身ですからねえ…」

　艶然と笑ってみせるベルさんなのだが、たしかに山田五十鈴ご本人は、まだまだ浮世に未練は大ありってところで、

　「好きなひと…いるわよ…」と芸能記者を悩ませてくれたりするのである。

　「ひょっとすると、来年あたり、またまたベルさんのプレゼントの洋服きて現れる二枚目が誕生したりして…」

　とカツドオ屋紳士たちが真顔でのり出すのも、このところの五十鈴姐御の色香のゆえなのか。

　たしかに、山田五十鈴の恋はプレゼントに現れた。ベルさんは惚れた男に自分の見立てた衣装やら小道具やらをプレゼントするのが趣味で、贈られた男の得意気な顔から、たちまちにして��しのぶ恋路″がバレちまうってのが常だった。

　民芸の新進俳優だった下元勉が＜唐人お吉＞でベルさんの恋人・鶴松を演じたときもそうだった。

　京都の宝プロのスタジオを借りての独立プロ作品だったが、下元に惚れたベルさんは、お吉と鶴松を地でいくってかっこうで、周囲の視線など気にしなかったが、薄田研二を中心として仲間うちも、若杉光夫監督も見て見ぬふり。

　それがバッと露見したのは、それまでトックリのセーターでウロついていた下元が、突如として英国製ホームスパンの上着などを着用に及んで颯爽と、太秦界隈を闊歩したことからだった。

　もちろんホームスパンは山田五十鈴の愛のプレゼントだったのだが、得意満面の下元を横眼でみながら、老スチールマン氏が、すっかりくたびれ果てたハンチングを手に、

　「あのなア、これ、わいもベルさんにもろうたんや、戦前の話やけどなア」

　とつぶやくように私に語ったのを、いまも鮮やかに思い出すのである。

　　（加東　康一）