人間はどうも心の歌をくりかえすもんですが、別に好きだからといって高らかに歌いあげるばかりではない。いつのまにか一寸くちずさんでいて、ときどきそれ何ですか？　ときかれることがある。人形浄瑠璃の節なのだが、「曽根崎心中」はぼくの心の歌です。お初・徳兵衛の道行きのくだり、近松門左衛門作。

　ベンベン、あだしが原の道の霜。一足づつに消えて行く、夢の夢こそ哀れなれ。あれ数うれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め……。

　ＮＨＫにはいって三年目ですから、昭和三十一年のことだったと思います．大阪四ツ橋にある文楽座にかよいつめました。すぐ新しい文楽座が道頓堀の豊竹座跡に完成して、そのとき、二百五十年ぶりにこの曲が復活したのです。なぜか青天のへキレキでした。あの太棹の音色と、お初・徳兵衛のまだ十代であったろうそのまっ白なふたつの顔が、それ以来、心の中にもぐりこんでしまったのです。　　　（TVディレククー）